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東京地方裁判所 昭和40年(行ウ)41号 判決

四一号事件原告兼

六五号事件被告の補助参加人

右代表者

赤間文三

右指定代理人

小林定人

ほか二名

六五号事件原告兼

四一号事件被告の補助参加人

全逓信労働組合宮崎県北部支部

右代表者

尾崎幸男

右訴訟代理人

東城守一

四一・六五号事件被告

公共企業体等労働委員会

右代表者

兼子一

右指定代理人公益委員

峯村光郎

ほか四名

主文

(一)  申立人全逓信労働組合宮崎県北部支部対被申立人延岡郵便局長間の公労委昭和三六年(不)第三二号救済命令申立事件について、被告委員会が昭和四〇年三月八日付でした命令は、主文第一項を除いてこれを取り消す。

(二)  訴訟費用は、四一号事件及び六五号事件を通じて全部被告委員会の負担とし、各参加によつて生じた部分は、それぞれ当該補助参加人の負担とする。

申立〈省略〉

主張〈省略〉

判断

先ず、原告国の当事者適格の点について判断する。

元来、行政事件訴訟法上、被告委員会を含めて各種の労働委員会は皆行政庁であり、その救済命令が行政処分(ないし裁決)に該当することは多言を要しないし、又、行政処分取消の訴の原告となり得る者は、その処分の取消を求めるについて法律上の利益を有するものであれば足り、必ずしも、当該処分の名宛人に限られないことも同法第九条の規定からして明らかである。

本件において、成る程、被告委員会の救済命令の名宛人が延岡郵便局長であつて国でないことは、当事者間に争いのないところであるけれども、延岡郵便局長が個人として名宛人となつたものではなく、飽くまで国の行政機関としての立場において救済命令を受けたものであることは、被告委員会の主張自体から明らかである。しかして、郵便局長に対する救済命令の効力は、終局的には郵便に関する事業の経営主体である国に帰属し、郵便局長ないし国が救済命令に従わなかつた場合の緊急命令は、事業の経営主体即ち使用者である国に対して向けられるべきものであると解すべきであるから、国も又、郵便局長を名宛人とした救済命令を取り消すについて法律上の利益を有するものといわなければならない。このことは、例えば、法律上の使用者である法人自体を名宛人とせず、これに被用されている工場長を相手方として救済命令が発せられた場合、その命令の不履行に基づく緊急命令ないし過料の制裁は使用者である法人に向けられる可能性があり、その救済命令の取消については、工場長のみならず使用者である法人自身にも法律上の利益があるのと軌を一にする。

従つて、本件の救済命令取消訴訟においては、原告国の当事者適格を承認するのを相当とし、この点に関し、原告国の訴を不適法としてその却下を求める被告委員会の本案前の申立ないし主張は採用の限りではない。

次に、救済命令取消訴訟の主張立証責任について一言する。

行政訴訟の場合にも、一般の民事訴訟の場合と同様に、訴が適法なものとして取り上げられ、原告の求める請求の当否について本案の判断をする前提として、訴訟法上必要な要件の具備が要求されることは勿論である。この訴訟要件の存否については、原則として裁判所が職権で調査すべきものであるが、この場合においても、もとより立証責任の原則を妥当とするものがある(尤も、裁判権や専属管轄等のように裁判所の職権探知まで要求されるものは別である。)。そして、行政処分に対する抗告訴訟において、原告は、いわゆる広義の請求原因として、行政処分がなされたこと、その処分の日が何時であるか(従つて、抗告訴訟が適法な期間内に提起されたものであること)、その処分の結果原告の権利ないし利益が害され又は害される虞があること(従つて原告が処分の取消について法律上の利益を有すること)等を主張立証するのが通例であり、この広義の請求原因と抗告訴訟の訴訟要件とは通常密接に結びついているのである。本件においては、前述のように国の原告適格を含めて訴訟要件は全て訴訟上に表われており、原告国及び原告組合の各訴に、格別訴訟要件の欠缺があるとは認め難いところである。そうすると、原告等は、請求原因としてさらに何を主張立証しなければならないかということになるが、それは、行政庁に対する或る申立が棄却された場合と、申立が認容された場合とによつて異つて来る。本件において、(イ)、原告組合の申立が認められて延岡郵便局長が積極的な救済命令を受けたのであるから、原告国としては、抽象的に当該救済命令の違法であることを主張すれば抗告訴訟におけるいわゆる狭義の請求原因としては十分であり、更に、具体的に個々的な処分の違法事由を主張する必要はない(もつとも、訴訟の実際において原告が個々の違法事由を主張するかどうかは別の問題である。)。却つて、被告委員会において救済命令の適法であることを主張立証する必要があるのである。(ロ)、これとは逆に、原告組合は、七項目にわたる救済事由を掲げて救済を申し立てたけれども、被告委員会は、その内二項について救済を与えただけで他の五項目についてはその申立を棄却したものであり、しかも、救済を与えたものの内一項目については、条件付の救済を与えたに過ぎなかつたのであるから、その条件付の部分に関する限り申立の一部棄却をしたものに外ならない。

このように、救済申立棄却の処分を受けたものは、処分取消の訴訟における請求原因として、単に当該処分の違法であることを主張するのみでは足らず、さらに進んで、棄却された事項が、いずれも不当労働行為を構成するものである点まで主張並びに立証をする必要があると解すべきである。

しかしながら、前述のような訴訟要件や実質的な請求原因とは別に、行政処分に内在する手続上の適法要件、例えば、被告委員会における原告組合の救済申立が有効であること・当事者が実在し救済命令を受ける適格があること・代理人を通じて手続が進められる場合には適法な代理権が授与されていたこと・事件が被告委員会の管轄に属すること・被告委員会の手続が適法に行われたこと等救済命令を発する前提としての一般的な形式的要件の存否については、当然に、被告委員会においてこれを主張立証すべき責任があるものといわなければならない。唯、救済命令取消訴訟の実際では、右のような命令自体の形式的要件が問題となることは少ないようであるが、表面上これが問題となつていない場合においても潜在的には被告委員会においてその適法であることをも主張しているものと見るべきであると共に、形式的要件が適法であるかどうかは法律上の判断であるから、抗告訴訟の当事者間で救済命令の形式的要件が適法に具備されているものとして争がない場合においても、裁判所は、これに拘束されるものではなく、独自の立場で、形式的要件の存否について訴訟上に顕われた資料に基づいて自由に判定できるものと解するのが相当である。このことは、例えば、下級審裁判所の裁判の手続その他の法律違背の点が、当事者の主張を待つまでもなく上級審の批判にさらされるものであるのと極めて類似する。

本件において、被告委員会の命令が国に対してではなく、行政機関としての延岡郵便局長に対して発せられたものであることは前判示のとおりであるが、このように単なる国の行政機関のみを相手方とした被告委員会の救済命令が適法な形式的要件を具備しているものであるかどうか、換言すれば救済命令が正当な当事者を相手方としたものであるかは相当の問題である(被告委員会の救済命令が、事件発生当時の責任者である延岡郵便局長宮崎光雄個人を相手方としたものでないことは、救済命令の名宛人がその後任の阿曾法眼となつている点から明らかである。)ので、以下この点について検討を加える。

公共企業体等労働関係法(以下単に「公労法」という。)第三条において準用する労働組合法(以下「労組法」という。第七条、公労法第二五条の五において準用する労組法第二七条等にいう「使用者」とは、企業経営の主体としての使用者を指称するものであつて、現実に不当労働行為を行つた監督的地位にある従業員ないし使用者の利益を代表する者を包含しないものと解すべきである。勿論経営主体である使用者が、その代理人や従業員等を通じて(事実上)不当労働行為を行うことは可能であり、その代理人や従業員の行為が一面において私法上不法行為としての性格を帯有しているときは、その行為者も不法行為を行つたものとして、個人として損害賠償等の義務を負担することのあるのは多言を要しないところであるけれども、不当労働行為に対する救済という公法上の側面からとらえた場合においては、不当労働行為の禁止義務は、使用者だけが負担するものであつて、その代理人や従業員が個人として或いは使用者の機関として負担するものではないというべきである。何となれば、救済命令は、事業の経営主体である使用者に無関係に履行されるものではなく、例えば、謝罪広告やポストノーチスを命じたり、或いはバックペイを命じたりした場合には、結局使用者の負担において履行されるべきものであつて、現実に当該不当労働行為をした者に個人として又は機関として履行の責任を負担させることはできないからである。そして、使用者は、自ら又は第三者を使役して不当労働行為を行つてはならないという直接的な責任を負担していると共に、自己の雇用している監督的な地位にある労働者ないし使用者の利益を代表する者に対し、これらの者が不当労働行為を行わないように充分監督すべき責任があり、にも拘らず、これらの者が不当労働行為に出でた場合には、使用者自身に不当労働行為意思がなかつたときでも、その監督責任を充分果していなかつたことに帰着しその責任は、結局のところ使用者に帰属するものであり、この監督責任を果さなかつた点において公法上の不当労働行為の禁止義務に違反したことになるのである。しかも、救済命令の不履行があつても、その命令自体には、直接強制的な履行をさせる力はなく、裁判所による緊急命令の発令を待つ必要があり、その緊急命令の発令にも拘らず緊急命令に従わない使用者に対しては、終局的には過料の制裁へと発展する訳であるが、過料の制裁は、事実上不当労働行為をした使用者の代理人や従業員ないしはその機関に対して科せられるべき性質のものではなく(機関に対する過料の執行は、法律上不可能であろう。)、不当労働行為制度の趣旨からして、事業経営の主体である使用者本人、即ち、個人経営の場合にはその使用者個人、法人組織の場合はその法人自身に対して科すべきものである(もつとも現行法上国が事業経営の主体として使用者となる場合には、国に対して過料を科すことはできないこととなつており、立法上国に過料を課することは問題であろうけれども、裁判所のなした緊急命令に対して国が従わない場合のあることは考え得ることであるから、その場合には何らかの制裁措置を設ける必要があるのであつて、現行法上国に過料の制裁がないということは、先にのべた緊急命令から過料に発展すべきであるとの法理を左右するものではない)。従つて又、その過料の前提となる緊急命令の名宛人も使用者に限定されなければならない。しかし、救済命令で使用者の代理人や従業員ないしはその機関のみが名宛人となつている場合に、行政処分の名宛人でない使用者に対して直接緊急命令を発し得るかも極めて疑問である。特に、救済申立の調査ないし審問手続において、実際の不当労働行為をした代理人や従業員が当事者として参加したのみで、使用者自身が全然これに関与しない間に命令が発せられたような場合のことを考慮するとき、到底、救済命令の名宛人以外の者に対する緊急命令ないし過料の制裁を適法なものとして承認することはできない。

なる程、救済命令というものは、当の不当労働行為を行つた者を相手方として発令する方がより効果的であり、実情に合致するとの考え方もないではないが、本件において、被告委員会は、延岡郵便局長が国の郵便関係事業の末端行政機関としての立場上なした行為をとらえて、不当労働行為に該当し或いは該当しないと判断したものであつて、当時の延岡郵便局長個人の行為を問題としたものではないのみならず、実際の不当労働行為をした者がその地位を去り、その不当労働行為とは全然関係のない者が後任者として選ばれたような場合に、その後任者に対して救済命令を出すことになると、前記の考え方の根拠である実情に合するとか或いは効果的であるとかという狙いは全く外れることになるであろう。本件では、正に不当労働行為をしたとされる当時の延岡郵便局長宮崎光雄は既にその地位を去つており、現実に救済命令の名宛人となつたものは、その不当労働行為とは全く無関係の後任郵便局長阿曾法眼であつて見れば使用者に対しでではなく、その代理人や従業員ないしその機関に対して救済命令を出すことの不当性は、多言を要しない程明白である。

そうすると、前述のように、延岡郵便局長の国の機関としてなした行為は、即ち、郵便事業経営の主体である国自身の行為に外ならないと評価すべきであるから、被告委員会としては、国の機関としての延岡郵便局長に対して救済命令を出すよりも原告組合に対し、救済申立の相手方を国に変更するよう命じた上で、直接国に対する救済命令を出すべきであつたのであり、そうすることは、一挙手一投足の労をもつて足りた筈である。にも拘らず慢然と、使用者に該当しない国の末端行政機関である郵便局長に、救済命令における当事者適格があると看過してなした本件命令は、違法無効なものといわなければならない。まして、被告委員会の強調するように、本件命令が全く、国に対して向けられたのではなく、郵便局長に対してだけ発せられたものであるとするならばなおさらである。

右のように、本件救済命令は、その当事者となり得ない欠格者を相手方とした違法があつて、当然に無効な命令であるというべきものであるけれども、形式上は、なお有効に成立し存続している如き外形を有しているので、このような場合訴訟当事者としては、外形的にも救済命令が存続していないようにその取消を求める法律上の利益があるものと解するのが相当である。

とすると、その余の点について判断を加えるまでもなく、右のように違法無効な本件救済命令の取消を求める原告国及び原告組合の各請求は、結局のところ全部正当として認容すべきである。〈後略〉(西山要 吉永順作 瀬戸正義)

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